渋沢栄一さんの最初の妻として明治から大正、昭和の時代を駆け抜けた渋沢栄一さんを支え続けた渋沢千代さん。渋沢千代さんの半生とは一体どんなものだったのでしょうか?渋沢千代さんのwiki経歴、そしてコレラで亡くなったこと、現在のお墓の場所などを詳しく解説していきます。
最後まで是非ご覧下さい。
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渋沢千代のwiki風経歴
渋沢千代さんのwiki風経歴をご紹介していきます。
渋沢千代のwiki風プロフィール
渋沢千代さんのwiki風プロフィールをご紹介していきます。
氏名:渋沢千代(旧姓:尾高千代)
生年月日:1841年生誕~1882年7月14日没 享年42
出身地:武蔵国榛沢郡下手計村(現在の埼玉県深谷市)
渋沢千代の経歴
渋沢千代さんの経歴をご紹介していきます。
渋沢千代さんは武蔵国榛沢郡下手計村(現在の埼玉県深谷市)に父親は名主と知られる尾高保孝さん、そしてと母親のやへさんの間に1841年に誕生しています。
【渋沢千代さんの生家(東の家)】
渋沢千代さんの実家の尾高家は米穀や塩などの商売だけではなく、染料に使う藍玉の製造や養蚕、農業などを営んでいました。
渋沢千代さんの母親のやへさんは渋沢一族の渋沢宗安さんが分家して生まれた「東の家(ひがしんち)」の血筋の出身です。渋沢栄一の父の元亮さんの姉でもありました。
その後安政5年(1858)12月に渋沢千代さんが17歳の時に渋沢栄一さんの元へ嫁いています。
元々2人は従兄弟同士という関係でした。
1858年は江戸幕府が日米修好通商条約を結んだ年で、同年には大老の井伊直弼が安政の大獄を始めた時代が動き始めた年です。
1861年には渋沢栄一が江戸へ出てしまいましたが翌年の1862年に、渋沢千代さんは長男の渋沢市太郎を出産していますが、わずか6ヶ月の幼さで亡くなってしまいました。
1863年からは渋沢栄一が故郷を離れ、1868年のヨーロッパから戻ってくるまでの間、渋沢千代さんは家庭を守り続けています。
そのため渋沢栄一さんは渋沢千代さん宛に手紙を送り続けていたんだとか。
渋沢栄一さんには妾が多くいたため、1871年には出張先の大阪で出会った大内くにさんという女性を連れ帰って、渋沢千代さんは妾の大内くにさんと渋沢栄一さんとの共同生活を送っていました。
その後1882年7月14日にコレラに罹り亡くなっています。享年42の若さでした。
激動の時代に生まれ、渋沢栄一さんを支え続けた渋沢千代さんの半生もかなり時代に左右されたものでした。
続いては渋沢千代さんの死因はコレラだった!という話題についてご紹介していきます。
渋沢千代の死因はコレラ
渋沢千代さんはまだ42歳という若さでしたが、1882年7月14日にコレラに罹り亡くなっています。亡くなったのは東京の飛鳥山にあった自宅でした。
江戸末期から明治時代に日本で大流行したコレラは、強い下痢、嘔吐の症状に襲われ、当時はなすすべもなく命を落とす方が多くいました。
庶民の間ではころりと亡くなってしまうことから「3日ころり」とも呼ばれていたんだとか。
これらの予防法としては汚染された水や生食品を摂取しないことが最も重要です。経口ワクチンの開発が試みられていますが、実用化はまだされていません。
渋沢千代さんがコレラで亡くなった年は、長女の歌子さんが結婚した年でした。
【渋沢歌子さん】
母親の渋沢千代さんの面影を感じますよね。続いては渋沢千代さんのお墓について調べてみました。
渋沢千代の墓は今どこに?
渋沢千代さんのお墓はどこにあるのでしょうか?
渋沢千代さんのお墓は東京の谷中霊園の乙11号1側乙にあります。
お墓の正面には渋沢栄一さんのお墓である青淵渋沢栄一墓があり、その右側に渋沢千代さん(尾高家)のお墓があります。
【渋沢栄一さん、渋沢千代さんの墓】
また渋沢栄一さんお墓の左側には後妻となった兼子さん(伊藤家)のお墓が設置されています。
続いては渋沢千代さんとはどんな人物だったのか?という話題について調べてみました。
渋沢千代とはどんな人物だったのか?
渋沢千代さんとは一体どんな女性だったのでしょうか?
渋沢千代さんは幼少期から家の仕事を手伝う働き者でした。家族の役に立とうとする気配りのできる少女だったといいます。
気丈な性格で、破天荒な渋沢栄一さんをしっかり支えた内助の功の持ち主だったといいます。
ただ渋沢栄一さんに妾が多かったことから、渋沢栄一さんの息子である四男の秀雄さんは「一生を通じて父のアミイ(妾)を苦にしたのは母である」と残していることから、渋沢栄一さんの女性関係にはずいぶん頭を痛めていたことを窺い知ることができます。
渋沢千代wiki経歴!死因はコレラで墓はいまどこに?まとめ
渋沢千代wiki経歴!死因はコレラで墓はいまどこに?という話題について調べてみましたがいかがだったでしょうか?
激動の時代に生まれ、時代の立役者となった渋沢栄一さんを陰ながら支え続けた渋沢千代さんの激動の半生はなかなかすごいものを感じてしまいましたよね。
実質夫婦生活を送っていたのは4年間ほどだったと言われていますが、渋沢千代さんにとってはとても濃い時間だったのかもしれません。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
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