NBAドラフトで、日本人初の全体9位で1巡目指名を受けるという快挙を成し得た八村塁選手。ワシントン・ウィザーズの一員としてこれからの活躍が楽しみですよね。会見の時の八村塁選手はネイティブ並みの流暢な英語を話していました。ハーフだから?と思ったら、実は高校生まで英語を話せず数年で取得したんです!
また、父親や母親にも注目が集まっており、父親は元バスケットボール選手でテレビ出演した事もあるんですよ。居酒屋経営についても話題となっていますね。
という事で今回は、八村塁の英語力が急成長!父親の居酒屋は既に閉店していた?と題してお送りします。是非最後までご覧ください!
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八村塁の英語力が凄い!実は高校生まで話せなかった!?
八村塁選手のお父様は南アフリカのベナン共和国出身、お母様は富山県出身。八村塁選手はハーフなわけですから、英語を話せてもおかしくはないのですが、元々はほとんど話せなかったそうです。
ハーフと言っても、お父様の出身であるベナン共和国の公用語はフランス語、自宅では専ら日本語メインでした。
しかし、ドラフト後のインタビューの英語はネイティブそのもの。
八村塁 ドラフト後インタビュー。
(日本語訳付)#NBAドラフト2019#八村塁#RuiHachimura#WashingtonWizards pic.twitter.com/1xypCnM6vW— デリック (@derrick_rodman) June 21, 2019
元々英語を話せる人の話し方ですよね。とても自然で、流暢で、そして内容も素晴らしい。
とても高校生まで英語を話せなかった人とは思えないですが、本格的に英語を勉強し始めたのは高校3年生になってからでした。
八村塁選手が英語を勉強するきっかけは何だったのでしょうか。
八村塁が英語を学んだきっかけは大学進学!
八村塁選手がバスケットボールを始めたのは中学1年生でした。元々は野球と陸上をしており、中学校の部活も野球部に所属したのですが、当時から身長180㎝近くあった八村塁選手は友人からバスケットボールを勧められたのです。そして根負けしてバスケットボール部に転部。
当時のバスケットボール部の坂本コーチからの「お前はNBA選手になれ」という言葉を信じ、ルールも分からず始めたバスケットボールでしたが、その才能はすぐに開花し大活躍。
【快挙の八村塁 恩師に涙の電話】https://t.co/vxdDOGQooE
米プロNBAが20日(日本時間21日)に開いたドラフト会議で、八村塁が1巡目に指名された。指名後、八村が中学時代のバスケ部の恩師に電話をかけ、「コーチ、やりましたよ!」と涙声で伝えたという。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) June 21, 2019
バスケットボールを始めた中学1年生から高校3年生まで素晴らしい成績を残してきました。その活躍は日本にとどまらず、世界からも注目を集め、海外の大学からのスカウトの声もかかるようになっていきます。
英語を学んだきっかけは?
いくつものバスケットボールの強豪校からスカウトの声がかかった八村塁選手。中でも、「ゴンザガ大学」はとても熱心で、ゴンザガ大学には各国の学生が集まっており、また、英語を母国語としない学生への対応や指導が丁寧で適切だった事で、八村塁選手はゴンザガ大学への進学を決めます。
とは言え、いくらスポーツ推薦でも、SAT(大学進学適性試験)で数学と英語をクリアする必要がありました。いくらバスケットボールが一流でもダメなんです。
そこから、八村塁選手のバスケットボールと並行した猛勉強が始まります。
八村塁の英語の勉強方法とは?大学のサポートも凄い!!
八村塁選手は、高校3年生の4月から英語と数学の勉強を集中的にスタートさせます。
英語はアメリカ人の先生、数学は担当教員を中心にマンツーマンで指導。夏休みに実家に帰省する際にも英語の先生がついていき勉強していたとか。
その間、ウィンターカップ3連覇も成し遂げていますからね。
バスケットボールの練習、勉強は1日8時間。惜しむ事なく励みました。
渡米した当時はまだ入学資格はなく、大学内のESL(英語を母国語としない学生が英語の習得する為の科目)で勉強を続けます。ゴンザガ大学は八村塁選手に家庭教師をつけ毎日勉強させたそうです。
そして見事入学資格を得、2016年9月、ゴンザガ大学入学となりました。
テキストを用いての英語の勉強だけでなく、時にはラップや映画、ゲームなどでも英語を覚えたそうです。好きな物を通してだとより一層身になりそうですよね。
ゴンザガ大学のフュー監督は、八村塁選手の英語力に対して、
とコメント。
とコメントするチームメイトもいる様です。
たった4年程でここまで流暢な英語を話せる様になるには、並々ならぬ努力が必要ですよね。大学での勉強もあったでしょうし、バスケットボールの練習に試合もこなさなければいけません。コーチからの指示が理解出来ずに、苦しみ、ストレスを感じる事も多くあったそうです。
そんな中でも挫けなかったのは、日本にいる家族や恩師やバスケットボール仲間の為、そして何より八村塁選手自身の夢への想いの強さ。
プレッシャーもあったかもしれませんね。
八村塁選手の英語力を見れば努力は目に見えていますし、その成果は、NBA入団を果たしたという形で実を結びました。ネイティブ並みに英語を話せなければNBA1巡目指名もなかったかもしれませんよね。バスケットボールはチームプレイですから英語でのコミュニケーションは必要不可欠です。
才能だけでなく、努力で勝ち上がってきた八村塁選手を見て、家族も誇らしく思った事でしょうね。
ワシントン・ウィザーズに指名され立ち上がった八村塁選手が、お母様、お父様と思われる人物と抱き合うシーンがありましたが、両親はどんな方なんでしょうか。
八村塁がアダムシルバーにその名を呼ばれた歴史的瞬間です。
NBAでドラフト指名を受けた日本人としては1981年の岡山選手に次ぐ2人目、そしてドラフトから入団しプレーするのは彼が史上初。
これは彼にとってゴールではなくスタート、全力で応援して行きましょう!
動画元: https://t.co/iZclHNQX0E pic.twitter.com/EpbBvnPv4K
— cata. (@ct_nba) June 21, 2019
八村塁の父親は元バスケットボール選手で居酒屋経営者!?
八村塁選手のお父様はザガリ・ジャビルさんといって、元バスケットボール!
#八村塁(ウィザーズ)の両親は父ペナン人母は富山県出身の日本人で四人兄弟 – https://t.co/uAxIanJbiJ #NBA #バスケット #八村塁 pic.twitter.com/4oDDCPEfZT
— ニュースランド (@newslandjp) June 21, 2019
しかし、八村塁選手にバスケをさせようとは思わなかったそうです。好きな事をやらせてあげたいという方針だったんでしょうね。しかし才能はしっかりと受け継がれていました。
お父様はベナンに住んでいる時も日本が好きで何度か来日していたそうです。そしてある時、富山県に移り住み、“居酒屋経営”を始めたんだとか。
接客業を通して日本語を学んでいったのかもしれませんね。
どんなお店なのか気になりますが、既に閉店しているという情報も。わざわざベナンから来てお店を出すくらいですから、日本食などではなく、ベナンの料理、アフリカ料理を提供するお店ではないかと思われます。
ネット検索すると1件出てくる富山県にあるアフリカ料理屋さん「ファイブスポット」というお店が八村塁選手のお父様のお店かもしれないという情報がありましたが、お店の口コミには「女性が1人で切り盛りしている」という記載がありました。
お母様1人で切り盛りしていた、運営や管理のみお父様でお店は他の人に任せていたというのは考えにくいですから、この「ファイブスポット」が八村塁選手のお父様のお店である可能性は低いでしょう。
アフリカ料理ではなく、ごく普通の居酒屋という可能性もありますからね。閉店しておらず現在も営業しているかもしれません。
また、こんな凄い情報もありました。
日本代表のアイラ・ブラウン選手が、八村塁選手のお父様が経営している居酒屋の常連なんだとか。
アイラ・ブラウン選手は2011年からの3年間、富山の「グラウジーズ」に在籍しており、この時に八村塁選手のお父様が経営する居酒屋の常連客となり、それ以来家族ぐるみの仲なんだそう。
また、アイラ・ブラウン選手はゴンザガ大学出身。八村塁選手とは日本代表のチームメイトとして共に戦った事もあります。アイラ・ブラウン選手は八村塁選手の事を”スペシャルキッド”と呼び、必ずNBAでドラフト指名されると能力の高さを評価していました。
八村塁選手にとってもアイラ・ブラウン選手は憧れの存在であり、昔から親交のある特別な存在だとインタビューで語っていました。
インパクト2000万パワーズ、まさか八村選手がバスケを始める前から面識があったとは驚きです。2人のコンビはとにかく楽しそうでイイですねえ!|イラン戦は俺たちに任せろ、アイラ・ブラウン&八村塁の『ゴンザガ兄弟』に期待!#AkatsukiFivehttps://t.co/0WZyOtJsCP pic.twitter.com/uz3XJWtvKx
— バスケット・カウント (@basket_count) September 16, 2018
やはり八村塁選手はバスケットボールをする運命だったのかもしれません。
では続いては、八村塁選手のお母様は兄弟について調べてみました。
八村塁の母親はどんな人?兄弟もバスケットボール選手!!
八村塁選手のお母様は、富山県で英会話スクールの講師をしています。
上記動画の3:00~お母様・八村麻紀子さんが映し出されてています。隣にいるのは妹さんですかね。
過去には、外国語活動講師という全国各地の小学校や中学校で英語を教える講師をしていたそうです。
ザガリ・ジャビル氏とはどこで出会ったんでしょうね。
お母様が英語講師であるならば、八村塁選手に英語を教えようとは思わなかったんでしょうかね。英語はあくまで“仕事”と割り切っていたんですかね。
上述しましたが、八村塁選手にバスケットボールをさせようと思わなかったというのは、お母様の意見が強いんだとか。英語にしてもバスケットボールにしても、八村塁選手の意志を尊重させた結果だったのかもしれませんね。
兄弟は?
八村塁選手には、弟さん1人と妹さんが2人います。
弟さんは八村阿蓮(あれん)さんといって、1999年12月20日生まれの19歳(2019年6月現在)。
バスケットボールの強豪校である「世田谷区立梅が丘中学校」、八村塁選手と同じ「明成高等学校」を経て、現在は東海大学体育学部競技スポーツ学科の2年生です。
中学、高校とバスケットボールの全国大会で常連となり大活躍。大学に進学した今でも、勢い止まらずチームの中心として活躍しています。
現在の身長は198㎝!大学生になっても伸びていた八村塁選手ですから、八村阿蓮さんもまだまだ伸びる可能性ありますよね!
続いて妹さんについてですが、八村安美菜(あみな)さんといって、現在は東京都の「明星学園高校」の3年生。
身長174㎝で、やはりバスケットボールをしていました。全国大会への出場経験もあり、これからの進路も気になる所ですね!
そういえば、八村塁選手の出身中学校は、「富山市立奥田中学校」ですが、阿蓮さんと安美菜さんは東京都の「梅が丘中学校」です。八村家は、阿蓮さんが中学校へ進学すると同時に富山県から東京都に引っ越した様ですね。
阿蓮さんの中学校進学は2012年頃。お父様の経営していた居酒屋を閉じて引っ越したのかもしれませんね。
お父様の居酒屋について検索すると、“元居酒屋経営”“経営していた”と過去形ばかりの情報が出てきます。すでに富山県を離れているのであれば、お父様の居酒屋はやはり既に閉店している可能性が高そうですね。
兄弟妹揃ってバスケットボールをしており、それぞれに活躍しているのはとっても凄い事ですよね。両親の身長は分かりませんが、お父様のバスケットボール選手としての才能が子供たちに受け継がれていたのは事実でしょう。
ちなみに、八村塁選手にはもう1人妹さんがいますが、「まりさん」という名前のみで他の情報はまだ公表されていませんでした。
きょうだい4人とても仲が良く、幼少期、見た目の違いから学校でからかわれてしまう弟、妹たちを、八村塁選手が守ってあげていたそうです。
八村塁選手がこんなにも好青年に成長したのは、素敵な家族に囲まれた良い環境で育った事が大きく影響していますよね。
素敵な家族の為に、これから益々活躍し輝いてほしいですね!!
では、最後に八村塁選手のプロフィールを紹介します。
八村塁のプロフィール
八村塁選手のプロフィール
八村塁の英語力が急成長!父親の居酒屋は既に閉店していた?まとめ
八村塁の英語力が急成長!父親の居酒屋は既に閉店していた? と題してお送りしましたがいかがでしたか。
八村塁選手が成長したのはバスケットボールの実力のみならず、英語力も。たった数年でネイティブ並みに急成長を遂げた八村塁選手はまさに努力の人ですよね。
お父様は“元居酒屋経営者”という可能性が高そうですが、八村塁選手が時の人となった今、現在の職業など詳しい情報が出てくるかもしれませんね!
NBAでの八村塁選手の活躍を応援していきましょう!!
最後までご覧いただき有難うございました!
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