山口百恵生い立ちは韓国人?妹・淑恵や父親の現在についても徹底調査!

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1973年にデビューして瞬く間にトップスターとなり数々のヒット曲を出した山口百恵さんは文字通り昭和を代表する売れっ子歌手でした。引退してから約40年経っても、その人気は健在です。そんな百恵さんですが、華やかな芸能生活の裏には壮絶な生い立ちがあったのです。
そして引退後の百恵さんやその家族の様子も気になります。
今回は、山口百恵生い立ちは韓国人?妹・淑恵や父親の現在についても徹底調査!してみました。

是非、最後までご覧ください!

山口百恵のプロフィールについて

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令和の時代になって、百恵さんの歌はよく知ってても、百恵さん自身の事は詳しくは知らないって人が意外に多いんじゃないかと思います。

そこで改めて、百恵さんのプロフィールを確認していきましょう。

1972年12月のオーディション番組『スター誕生!(日本テレビ系)』で準優勝し芸能界入りを果たしました。1973年4月の映画『としごろ』で女優デビュー。

同タイトルの主題歌で同時に歌手デビューを果たしました。ちなみに『スター誕生』では中森明菜、小泉今日子、ピンクレディなど多くの大物歌手を輩出しています。

その後、数々のヒット曲を飛ばし、歌手として女優としてまさに人気絶頂の頃に芸能界を引退しました。そして、当時ドラマなどで共演した三浦友和さんと結婚しました。

本名:三浦百惠(みうら ももえ)(旧姓:山口)
別名義:横須賀 恵(よこすか けい)(作詞時のペンネーム)
生年月日:1959年1月17日
年齢:59歳
出生地:東京都渋谷区恵比寿(出身地:神奈川県)
横須賀市立鶴久保小学校卒業
身長:158cm
血液型:A型
職業:元歌手・元女優
ジャンル:テレビドラマ・映画・歌謡曲
当時所属事務所:ホリプロ
当時レコード会社:ソニー・ミュージックエンタテインメントに所属
活動期間:1973年 – 1980年

兄弟姉妹:山口淑恵(やまぐちよしえ)
母:山口 正子(やまぐちまさこ)
父:久保 茂(くぼしげる)
配偶者:三浦友和(1980年 – )
家族:三浦祐太朗(長男)三浦貴大(次男)

20歳で引退、結婚だったんですね。

当時、画面に映る百恵さんはとても大人っぽくて落ち着いたお姉さんに見えました。

今どきのアイドルとは全く次元が違いました。

続いて、百恵さんの韓国人説について調べてみました。

山口百恵の本名や在日韓国人説について

当時、父親が仕事で韓国に行くことが多かったうえに、百恵さんと母親と妹の3人は横須賀の鶴が丘の近くにある不入斗という「コリアンタウン」にある在日韓国人の人たちが多く住まれている県営住宅に住んでいたとので、韓国人説が流れたのです。

住んでいたというだけなので、父親も百恵さんも韓国人ではありませんでした。

通っていた中学にも在日韓国人の子が多かったので、そんな噂がでてしまったんでしょうね。

続いて、百恵さんの生い立ちについて調べてみました。

山口百恵さんの家族との壮絶な生い立ち!

引用:https://twitter.com

山口百恵さんの父親と母親は入籍はしていません。

山口百恵さんは愛人の子として生まれました。

母子家庭で育ち、生活は貧しく、生活保護を受ける生活を送っていました。

山口百恵さんは家計を助けるために、新聞配達をしていました。

苦労して二人の子供を育ててくれる母親の姿をみて、少しでも楽をさせてあげるために、芸能界入りを目指したんですね。

山口百恵さんにとって芸能界入りは家計を助けるためであり、チャラチャラした気持ちは全くなかったんでしょうね。

そして実際に芸能界入りし、社会現象を巻き起こすほどのトップスターとなりました。

お母さんに恩返しができましたね。

しかし、その母親の正子さんは、残念ながら51歳という若さで亡くなっています。

その年齢で母親を亡くすというのは山口百恵さんにとって大きな喪失感をもたらしたことでしょう。

壮絶な人生は続いていたんですね。

続いて、そんな壮絶人生の元凶となった山口百恵さんの父親について調べてみました。

山口百恵の父親は最低の男だった?

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山口百恵さんの父親の久保茂さんは医者でした。

本妻もいて、その間にも子供もいます。

久保茂さんは山口百恵さんの母である正子さんの父に「責任を持ってきちんとします」と、本妻と離婚して再婚するつもりであることを伝えました。

しかし、実のところは山口百恵さんと5歳下の妹の淑子さんが誕生しても本妻と離婚しませんでした。

戸籍上では”認知”という形だけだったのです。

山口百恵さんの所に顔を出すのは日曜だけでした。

さらにひどいことに、山口百恵さんの家庭には何の援助もしなかったのです。卑劣な対応です。おまけに母・正子さんに暴力をふるうこともあったのです。

どんな思いで山口百恵さんはその状況を見ていたんでしょうか。

そして、山口百恵さんが芸能界で売れると、母親から親権を奪おうとしたり、マスコミ相手に売名行為を始めたり。

さらには山口百恵さんの事務所から無断で借金をしたりしました。

どこまでも卑劣です。医者であったにもかかわらず、お金に困っていたのでしょうか。

最終的には、山口百恵さんは自ら稼いだお金で多額の手切れ金を渡して父親と縁を切ったのです。

絶縁をするほど、つらい思いをしてたんですね。

続いては、百恵さんが自分の生い立ちを知った時について調べてみました。

山口百恵が出生の秘密を知ったのは週刊誌がきっかけだった!

山口百恵さんが自分の出生の真実を知ったのは、芸能界にデビューした14歳のころです。

週刊誌が百恵さんの戸籍謄本を掲載したのです。

その頃は個人情報保護法なんてものはなく、ひどい扱いですね。

記事を読んだ山口百恵さんは、うろたえることはありませんでした。

逆に、相当の困難があった中で必死に育ててくれた母親に感謝したそうです。

14歳の頃というと、多感な時期ですよね。普通だったら恨んだり、ひがんだり、反抗したりするかもしれません。

そうではなく冷静になれた山口百恵さんは14歳といえども精神的には大人だったんですね。
大人っぽい難しい曲を歌いこなせる訳ですよね。

続いては、山口百恵さんの感動のファイナルコンサートについて調べてみました。

山口百恵さんの伝説のラストステージ

引用:https://twitter.com

1980年10月5日、日本武道館でのファイナルコンサート。

山口百恵さんは今も俳優として活躍する三浦友和さんとの結婚を機に人気絶頂のまま引退しました。

山口百恵さんはファンに向けて「私のわがまま、許してくれてありがどう。幸せになります。」と告げました。

そして「さよならの向こう側」を涙を流しながら最後の歌を歌いました。

歌い終えると、ファンに深く頭をさげ、マイクをステージの中央に置いたまま舞台から去りました。
記憶に残る感動的なラストシーンですね。

このシーンは今でもたびたびテレビで放映され、伝説として語り継がれています。

その後、一切メディアには登場することはありませんでした。いさぎいいですね。

続いて、山口百恵さんの妹について調べてみました。

山口百恵さんの妹は今どうしているの?

引用:https://twitter.com

山口百恵さんには5つ下の妹の淑恵さんがいます。

母親は家族の為に懸命に働いていました。

そんな中、山口百恵さんは小さい妹の面倒をよくみていました。妹思いなんですね。

淑恵さんは百恵さんが賞を獲った時などは一緒にテレビに映ることもありました。しかし、百恵さんの妹ということで学校でイジメにあいました。

そのため、山口百恵さんはそれ以降妹をメディアに出すことやめ、淑恵さんは一切メディアに姿を見せなくなりました。

そしてその後、海外留学をされました。
留学前の淑恵さんはとても内気で、口数がとても少なかったのです。

あまりの口数の無さに、夫の友和さんは淑恵さんに嫌われているのかと心配になった程なんだとか。

その淑恵さんが留学を終えて、帰ってくるとまるで別人のように明るいハキハキとした妹になっていました。

その様子に山口百恵さんはホッとしたでしょうね。

お母さんの出棺の時に親族と一緒にいた白人男性が淑恵さんの旦那さんではと思われます。

留学がきっかけとなって国際結婚をしたのでしょうか。

留学時代に知り合った旦那さんなのか、帰国してからのご縁なのかは分かっていません。

現在は、淑恵さんは一般の主婦として山口百恵さんのおうちにもよく遊びに来るそうですよ。

年を重ねてもお互い仲いいんですね。姉妹っていいですね。

続いて、山口百恵さんの父親のその後について調べてみました。

山口百恵の父親のその後は?

山口百恵さんの父親は在日韓国人専用の施設に入っているという説があります。

しかしこれには根拠が乏しく、デマだと思います。

父親は純日本人であり韓国人ではないので、それは違うということですね。
在日韓国人専用ではなく一般の施設に入っているのかもしれません。

山口百恵さんも絶縁していることもあり、連絡は取っていないでしょうね。
はっきりとした情報は残念ながら分かりませんでした。

続いて、山口百恵さんの現在の様子を調べてみました。

生い立ちと父親を乗り越えた山口百恵の現在

引用:https://twitter.com

壮絶な試練を乗り越えて、栄光、引退、結婚から約40年経ちました。

現在の百恵さんはキルト作家として活動されています。

『東京国際キルトフェスティバル』等に出品されています。
2019年7月末には「三浦百惠」の名前で自著を発売されました。

タイトル:『時間の花束 Bouquet du temps』(日本ヴォーグ社)
「百恵さん自作のキルト作品が70点あまり収録されており、それぞれの作品解説や、製作時の気持ち、家族や友人への思いが綴られています。制作風景など、数点ですが、ご本人の近影も掲載されます」(日本ヴォーグ社出版営業部)

百恵さんは30年ほど前からキルト制作をしていて、その集大成として今回出版されました。

二人の息子たちも自分の道を歩むようになった今、百恵さんもこれからの自分を考えているんでしょうね。

夫の友和さんは陶芸をされています。

夫婦で芸術に興味があるなんていいですね。
ピラティスやジムにも通って充実した生活をされていますね。

続いて、山口百恵さんと三浦友和さんの息子さんたちについて調べてみました。

山口百恵の2人の息子、祐太朗と貴大!

山口百恵さんと三浦友和さんの間には、1984年4月に長男・祐太朗さん、1985年11月に次男・貴大さんが誕生しています。

 

祐太朗さんは百恵さん同様に歌手を目指し、大学時代に中学時代の同級生と結成したバンド「Peaky SALT」で2008年にメジャーデビュー。

当時”ユウ”と名乗り、両親の事は伏せていましたが、わずか1ヵ月で芸能リポーター梨本勝氏に察知されてしまったそうですよ。

 

2010年にメンバーの脱退などの理由でバンド活動を休止。2011年に、”三浦祐太朗”名義でソロ活動を開始します。

 

2012年に、松山千春氏の自叙伝を原作にした『旅立ち~足寄より~』で、応募者823名の中から主演に抜擢。松山千春氏の名曲「旅立ち」のカバーでソロデビューを果たします。

 

2017年には、百恵さんのヒット曲を歌ったカバーアルバム「I’m HOME」をリリースし、7万枚を売り上げる大ヒットを記録しました。

 

 

歌手として音楽番組への出演だけでなく、バラエティ番組などへも出演する様になり、その中で、アニメ好き、オタクといった一面も見せた祐太朗さん。

 

好感度も上がったのではないでしょうか^^

 

 

そして、2020年6月に声優・歌手として活動する牧野由依さんと結婚した事を発表。

 

馴れ初めはやはりアニメ繋がりなんでしょうかね( *´艸`)

百恵さんも2人の結婚にさぞ喜んでいる事でしょうね。

 

 

続いて次男の貴大さん。

貴大さんは大学時代精神保健福祉士を目指していましたが、社会には様々なタイプの人間が存在することを知って俳優になる事を決心したそうです。

 

そこで父親である三浦友和さんに相談した所、映画『RAILWAYS』への出演が決定!

同作での演技が評価され、第34回日本アカデミー賞新人俳優賞および第35回報知映画新人賞を受賞しました。

 

2011年『学校をつくろう』で映画初主演。

2012年『ふがいない僕は空を見た』『我が母の記』などの演技により、第86回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞を受賞

 

その後も、数々の作品に出演。つい最近では、2020年前期のNHK連続テレビ小説『エール』での早稲田大学応援団長役が記憶に新しいですね。

 

母のように歌手になった祐太朗さん、父のように俳優になった貴大さん。

やはり背中を見て育ってきたからこそなんでしょうかね。

 

兄弟仲はとても良く、一緒に飲みに行く事やメールのやり取りや誕生日にプレゼントを贈り合う程の仲だとか。

学生時代には、同じ水球部とライフセービング部に所属し、バンドも一緒に組んでいた時期もあるそうですよ。

 

兄弟仲が良いという事は、きっと家族仲も良いという事でしょうね。

 

立派に成長した2人の息子さんの事を、百恵さんも誇らしく思っている事でしょう^^

 

山口百恵生い立ちは韓国人?妹・淑恵や父親の現在についても徹底調査!まとめ

山口百恵生い立ちは韓国人?妹・淑恵や父親の現在についても徹底調査!についていかがでしたか?山口百恵さんは韓国人ではなく純粋な日本人でしたね。

壮絶な人生を送ってきた百恵さんにとって愛する人と出会い平凡な家庭で幸せな家庭を作ることが百恵さんの目指す頂点だったんですね。

それが、たとえトップスターの座を捨てることになっても。

今回、キルト作品の本を出版するにあたって、紙面で少しだけ表舞台に顔を出されました。

もしかしたら、また百恵さんをテレビで観ることができる時がくるかもしれませんね。

少しだけ期待しておきましょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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